求人歴史街道

昭和の大阪:時代は移り変わる。

昭和の求人について今回は語りましょう。昭和の求人については、私の祖父が生きていたころよく聞かせてくれたお話があります。
私の祖父は満州へ行っており、そこで求人も出していない。 いや…求人出ない作業(今でいうところの強制労働)を経て、満州で食べたラーメンの味をもとに日本に帰国後満州麺を開店しました。
その当時、小麦は非常に高価なため、赤字の日々が続きました。もちろん求人を出せるような余裕などありませんでした。
しかし高度経済成長に合わせて次第に売れ行きも良くなり、加えて大阪で万博が開催されたこともあり、これまでの赤字経営が嘘のように一気に収益が増加しました。
またこの頃には祖父と開店当時からの弟子の3人だけでは到底さばききれない状態になったため、求人を出したところ、想定を超える応募が来たため、採用活動の時間をいかに確保するかで苦労しました。
その後も好景気が続いたことで順調に業績を伸ばした満州麺は店舗を拡張して新たに求人を募りましたが、いわゆるバブル期の頃になると同業者間の競争が非常に激しくなり、更に求職者の志向が変化したことで、思うように応募が集まらなくなりました。
数年後に祖父が引退するときに「求人を出すときほど難しいものは無い」と言っていました。