求人歴史街道

大阪の概要

「食い倒れの街」大阪とあって、飲食関連の求人が多そうなイメージがあるが、
明治から昭和にかけては、飲食店以上に、鉄道関連の求人がかなり幅を利かせていたと聞いた。
今のようなハイテク機器のないこの時代は特に、鉄道の敷設や測量、駅の建設に大量の人員が必要で、応募すれば誰でも即採用されるような状態だったという。
 当時は明治政府が進めていった鉄道の国有化に対抗して、路線の拡張や複線化、線路の高架線化に新規路線の敷設が次々と行われた。

これに伴い、駅の建設だけでなく商業施設との連絡通路の工事も行われたことにより、
大阪ではますます鉄道関連の求人が増大し、
ついには他業種を圧倒するまでになったという。

 昭和に入ると地下鉄の敷設に求人の主体が切り替わったが、
非常に地盤の悪い大阪に地下鉄用のトンネルを掘削するという大掛かりな工事で、
更に当時ショベルカーなどの重機など無く、
つるはしとシャベルを用いて大人数で掘削作業を行っていたため、求人の数は爆発的に増加した。

 戦後は戦災からの復興を旗印に建設業やインフラ関連の求人が多数を占め、食糧難の時代に飲食関連の求人はほとんど無かった。
飲食店の求人が多くなったのは万博の行われた高度経済成長期からだと聞いたことがある。街の印象で特定の業種の求人が強いという訳ではないことを改めて知った。