求人歴史街道

昭和の西宮の歴史についてお話します

昭和の西宮は、戦争と同時に兵器開発事業が盛んになった。
いや、正確には盛んになったのではなく、仕方なくそうなったといった方がいいだろう。

求人という概念はなく、極東による強制的な労働が義務づけられていた。
これに逆らうということは「非国民」というレッテルを張られてしまい。
人々は、極東の指示通りに暮らすことになった。

しかし、そういった兵器開発の工場は、連合国の標的になり
ミッドウェーでの大敗・硫黄島での大敗後は、空襲の標的となってしまった。

度重なる空襲に西宮の人々は山側に逃げようとする。
空襲に追われ、浜側の人々は家を捨て山へ逃げるしかなかった。

そして、敗戦という事実を受け入れた西宮の人々は高度経済成長期と共に進化する。

第一次産業が「国家は鉄なり」と称され栄えていたころ、西宮では
早くも第三次産業が盛んにおこなわれていた。

なぜなら、西宮の山側に住む富裕層を相手にビジネスをする方がいいという風潮が
早くも発案されていたのだ。

第三次産業として、旅行業務(添乗員)の求人やレジャーランドの係員の求人が
西宮の求人誌を賑わしていた。

そして、世間が大三次産業ブームであるバブルに突入した際には、なぜか第二次産業である飲食系の求人が多くなった。

このころ2号線沿いにラーメンのブームが来たらしい。