求人歴史街道

京都の求人の歴史(江戸編)

では、過去をもっとさかのぼり京都の江戸の歴史を語りましょう。

江戸の京都は壬生狼の求人が多くあった。

「江戸 京都 求人」とこのキーワードを並べて検索してみると出てきたのは壬生狼(後の新選組)の求人だった。その当時壬生狼と呼ばれていた彼らは「奇襲」という行為でしか敵を制圧することができなかったのだ。そんな彼らにとって致命的だったのが人数不足。かつて近藤とともに京都へ来た仲間たちは合計で10人くらいと言われている。そんな数で維新志士など討ち落とすことなどできはしないのだ…そんな弱点を埋めるためにも彼らは必死に人を募集するために三条河原の瓦本に求人を出していた。そしてそれをみて「私がやるしか無いな…」と思ったのが武田観柳斎(後のホモ)だったのだ。

武田観柳斎が出す求人の効果

武田観柳斎は非常に頭脳が飛び抜けて優秀であった。特に武田観柳斎の砲術といえば新選組内で右に出るものはいなかった。西本願寺を部隊に300発の砲弾を鳴らし続けて天皇より「うるさーい!」と怒られたこともあったそうだ。そんな彼は三条河原の瓦本を読み「これでは人は集まらない」と思ったそうだ。彼は、新選組でどのようなことができるのか、正義とは何かを訴えて人を集めることに成功したと言われている。