求人歴史街道

平成の神戸の歴史

平成を迎えた神戸は、高度成長期の恩恵に与り高層ビル群や高級マンションが立ち並ぶ豊かな街となりました。
西は兵庫から東は東灘まで、低所得者層から高所得者まで、住みよい街としてとても多くの人が今も暮らしています。
飲食店のみならず一般事務の求人の数もとても多く、求職活動に事欠かない地域です。

そんな神戸ですが、一度非常に深刻な問題を迎えることになります。1995年1月17日の阪神淡路大震災です。神戸市は壊滅的な被害を受け、特に東灘方面、長 田区 、兵庫区の被害が甚大で、遺体の収容可能人数を超えてしまったため収容しきれない遺体を須磨や東灘の浜へ安置していたほど、死者の数が多い災害でもありま した。

その後、復興への歩を進めていく神戸ですが、復興までのスピードの早さが日本のみならず世界をも驚かすこととなりました。特に兵庫区は木造建築の家 屋が多く、震災による火災で多くの家屋が焼失、全損しましたが、その後およそ10年で兵庫区は綺麗に整備された道に防災対策の施された住宅、マンションが立 ち並ぶ豊かな街となりました。
震災の爪痕は今ではほとんど残っていません。しかしながら神戸の公園には震災を忘れないために「希望の灯」というモニュ メントが今でも火を灯し続けています。

そしてかつて以上に求人の数は充実し、復興を遂げた神戸の街にははつらつと働く人々が活躍しています。