求人歴史街道

昭和に入り戦争の時代の尼崎

昭和の尼崎の特徴は、やはり戦争時代です。
戦争時代の尼崎の求人は、その当時尼崎の港には軍事基地があったため、その工場での求人が多くありました。求人と言ってもその当時は、小学生が学校の帰りに強制的に働かされたりしていました。そのため、学校の授業も今では5時間以上は学問にかかわる授業を行う。とされていたのが、その当時は学校の授業よりも兵器や軍事を重点的に授業が行われていたため、学問が置き去りになってしまいました。
しかも、尼崎には軍事基地と兵器工場が多くあったため、アメリカ軍による空襲が多く行われ、小学生ともあろう子たちが防空壕の中で集団自決や空襲により蒸し焼けになって死んでいく事が多くありました。

しかし、その時代があったからこそ今の時代があるといっても過言ではありません。

戦後から発展し味が変わる

戦争が終わり、尼崎にも闇市ができてきました。その闇市で人気だったのは「メリケン麺」です。メリケン麺はアメリカ陸軍が愛用していた「おばあちゃんのねるねるね~るねぇ」をもとに日本人が小麦粉と片栗粉と水で作った乾麺です。

尼崎の人はこの面を求め、わずか50銭しかないお金すべてをこの面に使ったとも言われています。私の相棒である。ボラ=アシモトヲミテゴランもこの面を食べたときには
「あぁ…この麺はラーメン・うどん・そば…すべての面のまずいところを凝縮した味」
と言っていました。

その当時はこの麺が唯一の食料ということもあり、この麺の素材である「ゴ麦」を求める食材屋の求人が後を絶たなかったそうです。